2009年6月17日水曜日

それほど自分が「かわいい」か

東京行の疲れも取れきれないまま、ボーッとしたアタマで出勤した。
何はともあれ、腹より前に脳が糖分を求めている。
仕事には万全の体調で臨む主義だ。

↑ 社の近所のカフェで、半熟玉子のデニッシュと
ガムシロ三つを添えたアイスコーヒーでテンションを高めた。
午後4時51分

↑ 夕食(一般のかたの昼食に相当)は、珍しい「ちゃんこ鍋定食」。
無料の社員食堂の割には(失礼)、旨い。

ベースは塩味のソップスープ。
ご覧のように無数の具、中でも好物のタラに久し振りに出合った。
別途50円払い、いつもの納豆も付けた。
午後7時38分

以上が昨日、16日に食べたもののすべて。
「夕食」は明け方になるので、
よほどのことがない限り、抜くことにしている。

この日も「瑞麟」でキリンラガーの中瓶3本。
明け方になってCONTAくんが合流したので、先日来の写真を渡した。
「写真代」ということで、1本分はCONTAくんの伝票についた ♪

更新作業が滞り、「作業中」の注釈ばかりで申し訳ない。
18日に未完成の投稿の仕上げと修正を集中的に進めるつもりである。

長い目で見守ってやってくださいm(__)m

閑話休題。

一昨日、昨日と2日連続で、社で2人の「小人物」と論争になった。

我が部署は、新聞が読者にとって
読みやすい「商品」に仕上がっているかを
輪転機が回る直前まで点検するのが本業である。

事実関係の誤りはもちろん、
誤読を招きかねない記事の言い回しや、不正確な見出しは
関係部署に直接アピールして改善を勧める。

昨日はある個所を巡って、記述に不整合が見られた。
担当部署はすぐに対応してくれたが、
問題は我が方の足並みの不揃いであった。

最終版終了後、担当面を取りまとめる立場の人物に訴えた。
その人物は、当該個所の不整合に早くから気づいていた。
彼いわく「別に間違いじゃないし……」。

私は反論した。
「違う。我々の守備範囲は読者に読みやすい新聞を目標に、
ささいなことでも最終版に向けて改善を重ねていくものだ」

彼は「それはあなたの考え方でしょ。ならそうすればいいじゃないですか。
僕に言われても困る。手を加えた部分がミスを誘うかもしれない」。

私が関係部署へ足を運ぶのは全くいとわないが、
昨日の取りまとめ役は彼であった。
取りまとめ役が任務を放棄して、一担当者の判断に任せる、
では組織というものの統制を失ってしまう。
関係するほかの部署との信頼関係にも影響しかねない。

彼は「足を運び、相手方と折衝する」という
記者の根本を忘れてしまっている。
彼は現場記者の経験が皆無に等しいので
理解してはもらえないであろうが。

決定的な誤り、俗に言う「訂正」や「おわび」が出なければ、
それでいい、と言おうとしているのである。

さらにはミスを極度に恐れている。
その割に、平時の紙面において誤りを見過ごし、
しばしば「訂正」を出している。

「攻撃は最大の防御なり」
この格言で反論としたい。

CS」という言葉が、各業界でこの10年以上前から叫ばれている。
かいつまんで言えば、顧客の満足を得られるよう努力せよ、
とでもいおうか、、、(ハーパーリンクに詳細の解説あり)

当たり前といわれれば当たり前なのだが、
食品偽装問題に代表されるように、世の商取引は
どこか騙し合いみたいな拝金主義に陥っている。

CSはその軌道修正への手段の一つとして改めて脚光を浴びている。
今回の一件はまさに、そのCSの範疇に当たる事例であった。

彼は言う。
「CSは人それぞれボーダーラインは異なる。
あなたがそう思うなら、そうすればいい」

そこが「違う」というのである。
CSにおける基準点の線引きがさまざまなのは認めるが、
今回問題となった部分については、
彼自身、早い時間帯から気づいていた。
しかし、「放置」しておいたのを、改めて私が促したのである。

他人から指摘を受けるのは、気分のよいことではなかろう。
しかし、仕事というのは1人で完全無欠の成果は上がらない。
複数の担当者が知恵を寄せ合って、
その時点で最もベターとされる結論を導き出し、
目に見える形に仕上げて行くのが我が部署の存在意義なのだ。

結局、彼は人と折衝するのを避けたのである。

交渉ごとというのは、いつも円満にコトが運ぶとは限らない。
「良かれ」と思って動いたことが、予期せぬミスを招くこともある。
相手に「イチャモン」と取られてトラブルに及ぶことも少なくない。

しかしながら、我が部署とは、まさにそうした剣呑な側面と表裏一体だ。
「仲良し倶楽部」もよいが、対読者の最前線に身を置くという意味では、
紙面に対して必要以上にシビアにならざるを得ない立場だ。

完全な誤りでなければ、自らを安全地帯に置くために何もしない、
という「事なかれ主義」は通用しない。
読者に対する「背信」ともいえる行為に私は手を染めかねる。

プロフェッショナルというものは、こうした厳しさと常に直面して
日々の仕事をこなしているのではないか。

妥協できる点は笑って、見過ごすのもよい。
しかし、そうでなければ、
傷を負ってでも身を挺する義務が課せられているはずだ。
火中の栗を拾わねばならない局面というのは嫌でも訪れる。

誰しも自分は「かわいい」。人から嫌われたくない。
本業において、こうした考え方が常に通用するなら
ストレスで心を病むこともなかろうし、
給料までもらえるのだから万万々歳である。

私たちは同僚の歓心をかったり、上司の覚えを良くするために
汗を流しているわけでは決してない。

あくまで、お客さまたる読者に対して、
よりよい新聞を届けるために骨身を削っているのである。
それを忘れた瞬間、一介のアマチュア以下の存在に成り下がる。

逃げてはいけない。もちろん、無用な衝突を招く必要もない。
上記のような「責任分野」を着実に全うして初めて、
読者から購読料をいただけるのである。

最近、そこいらを履き違えている「小人物」が目立つので記しておいた。

RICOH GR DIGITAL Ⅱ(RAW)
SILKYPIX Developer Studio Pro

★始めたばかりの「Jの法則」。
臨時増刊バージョンは第1段階の取材完了。

今回のテーマは今春発生した「西淀川女児虐待致死事件」。

「2ちゃんねる」でもお祭騒ぎに近い様相だが、私は新聞記者。
これまでに判明・報道されている事実を基に、
法律の壁、裁判員制度の在り方まで含め、
この事件を考えていきたいと思う。

UPまでには少々時間がかかるかも知れない。

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