2007年6月23日土曜日

Monochromeに首ったけ

最近、モノクロネガをスキャナでPCに取り込む作業を進めています。6月13日の当blogにUPした手法で、です。
所属させていただいているカメラクラブ「RLFC(R-LEICA FAN CLUB)」(http://homepage1.nifty.com/RLFC/)の野本巖会長いわく「カラーは再現。モノクロは表現」。同感です。

モノクロに、郷愁や古き良き想い出を重ね合わせる方々が少なくありません。異論はないのですが、私の場合、誰が見てもカラーの方がふさわしい、と思える同時進行の被写体でも、あえてモノクロで撮影し、カラーのインパクトとは一味違った表現をすることがあります。

今はデジタル一色の時代。デジタルカメラのカラーモードで撮り、現像・レタッチソフトでモノクロに変換するのは、いとも簡単です。では、なぜ、わざわざモノクロフィルムを使う必要があるのか、、、アタマの痛い問題です。銀塩の価値をどこかに見出そうとしていらっしゃるのか、続々と発売される新型デジタルカメラから目をそらすがごとく銀塩と「格闘」しておられる方々なら、なおさらでしょうね。

ネット上の或る写真を見せられて、「これはモノクロフィルム、これはモノクロモードのデジタル、これはカラーフィルムをモノクロ変換している、これはカラーモードのデジタルデータをモノクロ変換している」と、四つの違いを自信を持って全問正解できるかたは失礼ながら、ごくわずかではないでしょうか? 元データから直接、高性能プリンターで出力された作品では粒子やグラデーションその他から、比較的見抜ける、とは言われていますが、、、

それほどまでに、今の現像・レタッチソフトの性能は上がってきています。この2~3年に発売されたソフトはいずれ劣らぬ出来栄えです。ソフトを使い慣れた人(特にレタッチャーと呼ばれる専門家)の手にかかれば、チョイと見、区別は付かないのではないと考えます。

銀塩はシャッターを切る撮影者当人の「思い」を、どこまで現像タンク内での目に見えない乳剤面の化学現象に反映できるかという点に尽きると思います。私たち、昭和30年代半ばに生を受けた人間は、カメラを初めて手にしたとき「写っているだろうか?」というワクワク、ドキドキ感に襲われたものです。感傷的ではありますが銀塩は、そんな時代に回帰できる「タイムマシン」のようなものかも知れません。

プロカメラマンでも銀塩で撮るのとデジタルで撮るのとでは、異なるスタンスで撮影に臨みます。デジタルが手軽、銀塩は面倒くさい、という単純な区別ではありません。結果は「似たような」仕上がりでも、被写体を捕らえる直前から、それが目に見える画像となって現われるまでのプロセスに勝負を懸ける側面もあります。クライアントからポジでの入稿を求められれば、断るか従うかの二者択一です。

この先、デジタルカメラの性能が天井知らずに向上するのは、火を見るより明らかです。いくら撮影者が意気込んで銀塩で素晴らしい作品をものにしたとしても、結果的にデジタルの画質が上回り、フィルムや薬品、印画紙の発売が止まれば、さしもの骨太の銀塩信奉者も、デジタルに移行せざるを得ないでしょう。「PC暗室」といった自家プリントも、銀塩データでは一見「アナログ」の仮面をまとってはいますが、処理過程と出口は「立派な」デジタルです。

カメラの進化はさておき、撮影者が、ケタ違いに多い情報量を含む銀塩の特長を生かしたよい写真を撮ったとしても、最新鋭の現像・レタッチソフトを扱う「達人」が仕上げた写真と並べて、鑑賞する側が後者をこぞって選択する時代となれば、やはり銀塩は放擲されてしまうのでしょうね。
私はデジタル嫌いでもなければ、一途一辺倒の銀塩党でもありません。一眼レフもRFカメラも、デジタル・銀塩併用で使って行きます。コンパクトデジタルカメラも等しく使っていくつもりです。

奇抜な写真を撮るつもりは決してありません。自分の脳裏でひらめいたモノにカメラを向けるだけです。もしかすると先人が残しておいてくれた表現方法がまだ少し残っているかも、と想像するくらいがせいぜいです。単純に「この技法が斬新」とかいうのではなく、ハイブリッド思考の組み合わせ論で考えた時に「ああ、こんな表現もアリだよね」というレベルのものです。そこら辺りを探ってみるのも一興です。

自分が写真を続けていくよすがとして、私は報道の手法を取り入れています。報道写真は常に問題意識やテーマをもって、歴史を写真という表現手段で残すことにほかなりません。通常の事件・事故は、新聞や雑誌に任せればよい、と思います。彼らが取り組まない、またさまざまな事情で発表できないジャンルというものが、今の時代にはまだ残されていると思います。

街頭でスナップを主体に活動するカメラマンも立派な「報道写真家」です。何が報道で、何が報道と呼べないかの線引きは、今の私にとって、にわかに口に出来ません。写真コンテストで見かける組写真部門も短編小説に置き換えられそうです。これも面白いですね。

テーマを持つこと、一瞬の何かを逃さないこと、狙いを定めたら腰を据えて何時間でも待てること、、、報道の道は存外険しいものです。相手が生身の人間であることも少なくありません。事前・事後の調べは必要でしょうし、まず取材対象の協力を仰ぐことが欠かせません。人と接するのが苦手な「報道写真家」は、カメラやPCをテキパキ使いこなせたとしても、肝心の素材を得るのに苦労します。

ましてや、お金にあかせて高価な機材を手に入れたとしても、写真は機材で撮れるものとは限りません。

つまるところ、写真は人と人との向かい合いです。その辺りの機微をすくい取れるという意味で、まだ銀塩がデジタルに勝っているという楽観的な見方はできます。

私はいつのころからか、自分の「土俵」を探すようになりました。それが出身母体である報道であったというだけです。旧態依然とした報道写真は、悲惨な戦場写真を含めて、撮り尽くされている、といって過言ではないでしょう。そこにプラスαとなる別の要素を組み合わせて、「この写真はヤツの写真」と呼ばれることを願い、日々、自分なりに精進して行こうと思います。

長くなってしまいました。自分の写真への思いを書き連ねただけです。

写真は5月5日午後、東京・西新宿の通称「小便横丁」での1枚です。すこしシアンがかっているのはモノクロネガをカラースキャンしたためです。シアンを取り去るのは簡単です。でも意図的に残しました。6月13日のblogで明かしましたように、これも私のワークフローの一つに組み込まれています。
LEICA R9,35mm(F=1.4),BW400CN
EPSON GT-X900(48bit,6400dpi)
SILKYPIX Developer Studio 3.0